大仙人が今年の3月11日のバスツアーで「エネコにいけー!!」という声を聞いたのですが、
時間を巻き戻して、少し前の私の状況の話をしますね。
私の父は25年ほど前から体調を崩し、病気でここ10年は体が不自由で意思疎通が取りにくい状態でした。
私が家を出たことで軋轢が生まれ、父が病気になった原因は真理子だと責められている気がして
実家になかなか帰れずにいました。
でも、昨年3月から大仙人のセミナーを受けて色々な情報が受け取れる様になったのだと思います。
昨年の9月頃、なんかこのままだと父親の葬式まで実家に帰れない気がしたのです。
(そう電話で言ったら母はまだ死なないよ。って言ってたけどね。)
10月に入って、新地亜紀さんの信念体系再構築モニターセッションを受けた後、
実家に一泊し、母親に本音を伝え、その翌日に施設にいる父に会いに行きました。
いつも父の面倒を母と一緒に見てくれていた妹が「誰だかわかる?」と父親に話しけた後
「真理子(笑)」としわがれたかすれた細い息の声で笑いながら言ったのが父の最期の言葉でした。
まる現の久家先生のビジネス塾のコピーライティングの授業で、
自分の両親に手紙を書いて渡しましょう(本人の前で読み上げましょう)というのがあって
その授業でお母さんに手紙を書き、席が近く、ペアになった栗林さんにお互いに読み合って
感動&号泣だったのですが、その後私は苦手意識のある母にその手紙を送ることができなかったのです。
母親との直接対決。再び書いた手紙には、母への感謝を伝え、
金子先生(大仙人)の元でスピリチュアルを再び学んで
これからスピリチュアルの先生になる決意を伝えたのですが、
母は「なにをいまさらスピリチュアル学ぶのか。私はもう平凡に堅実に暮らしたい。」
私が二十歳の時家を出たのは、親からもらった常識を捨て、
スピリチュアルの生き方をするという決意がありました。
両親への手紙はちっとも感動&号泣ではありませんでしたが。
一つ壁を崩した手応えを感じました。
実家からの帰り道、高田馬場の預言カフェに立ち寄りました。
主が言われます。我が愛する娘よ。
私はあなたを心から愛していますよ。と主が言われます。
私があなたを作りました。と主が言われます。
あなたの命とあなたの人生は、私が本当にこの貴重に作りましたよ。
なのででもう人と比べてはならない。と主が言われます。
我が愛する娘よ。あなたの家族の上に大きな祝福を与えていく。と主が言われます。
自分が家族の中でないがしろにされているという思いを取り除く。と主が言われます。
私はあなたを価値あるものとして、高価なものとして、尊いものとして
私は貴方を作った。と主が言われます。
それを必ず握っていくその時ですよ。と主が言われます。
家族の周りの誰かの目線や、彼らの行動で自分の価値を低くしてはならない。
と主が言われます。
私はあなたをそのように、私の娘として、王家の娘として、私はあなたを用いていく。
と主が言われます。
なぜあなたがその家族になにかこう繋がっているのか、
それがますます明らかにされて行く時である。と主が言われます。
自分はただの家族の一員そのように思ってはならない。と主が言われます。
あなたが中心となっている。あなたが輪のなにか中心、
何か食卓のなかの花のようなそのようなものですよ。と主が言われます。
花や食卓の明かりとして、私はあなたを用いていく。と主が言われます。
それは机の下に隠れているそのようなものではなく、
ちゃんとあなたを私はご家族の栄光、多くの人々から認識されていく、
あなたの今までの努力、蒔いてきた種、そしてこうなったのが家族の、
その家族中畑をちゃんとこう整えてきた、こう畑を整え、水を与えてきた部分に
対して多くの人々がねぎらいを感謝をしていく。と主が言われます。
人が見ていなかった部分に対してもたくさんの労功をしてきた。と主が言われます。
あなたが蒔いてきた来た良いものはちゃんと収穫できていく。と主が言われます。
それがあなただけではなくて多くの人々への祝福も影響されていきます。と主が言われます。
自分は理解されていないという思いを取り除いていく。と主が言われます。
私があなたを弁護していく。と主が言われます。
そして家族の会話が回復されていく。と主が言われます。
愛が注がれて行く。と主が言われます。恵みがますます注がれ、喜びが溢れていく。
と主が言われます。私はあなたの口を大きく用いていく。と主が言われます。
私はあなたが手放したキャリアを取り戻していく。と主が言われます。
社会とあなたをつなぎ合わせでいく。と主が言われます。
もう遅い。あなたは思ったかもしれない。
でもこれからがあなたの時ですよと主が言われます。
あなたの才能、あなたの資格が回復されていき、
あなたがますます社会に貢献していくその時ですよ。と主が言われます。
近所にあってもあなたの町町にあってもあなたの声を大きく用いていく。と主が言われます。
勤勉家であり、一つ一つを学んでいく娘よ。
ますます私はあなたを大きなものとしていく。と主が言われます。
理解されていないという思いから、あなたは理解されていく娘として、理解されいく女性として
あなたは自信を回復させていくと主が言われます。これからです。
私はあなたに、ますます扉を開かせていきますよ。と主が言われます。
遠慮してきた部分に対して、あなたの遠慮を取り除き、
あなたに大胆さを与えていくと主が言われます。
これからです。私はあなたと共にいる。と主が言われます。
という預言をもらい、父が余命宣告を受け、あと2週間から2ヶ月と母親から電話が入ったのが
今年の2月のことでした。2月の大仙人の名古屋神社参拝(熱田神宮、塩釜神社)とセミナーが目前に迫っていました。
休みは大仙人のイベントを優先しているのでこれから実家に帰るために休むのは難しい。
何度か父危篤の連絡は今まで受けたことがありましたが、回復することも結構ありました。
が今回はなんか行かねばならないと感じました。
神社参拝をきよみんに任せ、2月23日に父親に会いに行きました。親戚にも会えました。
でも父は言葉を発することはもうできませんでした。
そしてもう一度母から連絡があった時は、ひどい風邪を引いて体調を崩してしまったので、行けないと伝え、
その2日後、3月9日に妹より他界したと連絡があったのです。